じりじり照りつける朝の陽射しをからだいっぱいに浴びながら、決まった時間に自転車を漕ぐ生活が始まった8月。さながら夏の子供のよう。
今週はまた、夏休み。ひとりだったりふたりだったり、遅くまでお酒を飲んで怠惰な朝を過ごしている。

生の果物は苦手なはずなのだけど、ジュースを作った残りを冷え冷えにして朝食べるのに夢中になっている。
昨日の夜、だらだら飲みながら、床にごろんと寝転びながら読んだ本。

ぬるい眠り (新潮文庫)

ぬるい眠り (新潮文庫)

「とろとろ」の中の

信二は、ときどき私を、自分がひどく無能で愚かな、とるに足らない存在であるという気持ちにさせる。空の高い校庭の片隅で、私は自分をとても恥じた。

このくだりでどきりとした。
このあいだ、好きな人とふたりでサマーソニックに行った。
続く音楽に汗をかきながら踊ったり、冷えた床を慈しむようにふたりで寝転んで酔った体を休ませたり、懐かしい友人や過去の恋人と偶然の再会を喜びあったり。
体はとても疲れたけれど、とても満たされた幸せな時間だった。
ふたりでビーチに出て、海を見ることができて嬉しい、と思ったとき、ほんの一瞬、「とろとろ」のような気持ちになったことがぐぐっと蘇ってきた。
嬉しい、幸せ、と切ない、寂しいはいつだって紙一重で。彼に限らず、その危ういバランスを、嬉しい、幸せにより大きく傾けさせてくれる人たちに囲まれていることを、とても幸せに思う。
足にさらさらとまとわりつく砂、地平線まで見える海、空に吸い込まれていく大音量、そして右隣には好きな人。
完璧な風景の中にはいつも、誰にもあげないひとりだけの気持ちが混じっていて、その気持ちをひっくるめて思い出として残しているのです。