ずっと前に登録して放置してたtwitter、使ってみようと思ってさっきまでいろいろいじってみたりしたんだけど。

どうなんだろ。どうなんだろ。

感覚がまだつかめない、必要なのかもわからない、というのが正直なところ。このままじゃちょっと悲しいから少しの間は使ってみるつもり。

久しぶりにパンツで会社へ。新しく買ったグレーのエナメルのパンプスにはカーキのパンツが絶対合うと思って。

ご機嫌な格好でいるのとはうらはらに、詰めの出口が見つけられず、たった一枚のシートが完成できず一日ずっとうんうん唸る。

時間に余裕はあるし、もうこれは空唸りな

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

ここまでが昨夜書いていて、突然重くなってもう、ってなって
ほったらかしにしていた日記になるはずだったもの。
記憶の欠片。

今は1月7日午後9時。

あんなに唸っていたシートはいとも簡単に、思った通りに出来上がり、ちょっと恐い、と思ったtwitterはちょっと面白いかも、と思ってる。

なんだかご機嫌で洗濯機まで回してる。


毎日なんて、そんなもの。
移ろいやすいから面白い。
だから、どんな日でも無駄な日なんて一日もないよ、ってずっとずっと思ってる。

2010年。うきよで、つぶやく 再開してみます。
とはいっても、静かに暮らす毎日で、これといって書くことはなにもなく。
たとえば一瞬の忘れないことを付箋に書き流すように、日々のメモをしていきたいと思っています。

***
今年はじめての食材の買出し。
母から届いたお重はまるで計算されつくしたように、きっかり3日で食べきれる量だった。
最初の頃はとても食べつくせる量ではなく、いつもそれを訴えていたのに、いつの間にか適量に収まってきていた。
こうやって過ごしてきた月日の長さに、ふと、思いを馳せる。


蓮根、塊の豚肉、カレー粉、玉ねぎ、人参、おくら、卵。
コーヒー豆、DEAN&DELUCAのスコーン、お酒、まだまだ青いアボカド。


池尻・三茶のいつものルートでいつもと変わらない買い物。

鍋に火をかけたキッチンからは豚のまだ少し生臭い香りとクローブエスニックな香り。


いつもどおりの休日。
ふわついた休み気分から明日を見据えた休日へ。


今ごろやっと、ようこそ2010年、と思っている。

2008年の終わりから2009年のはじまりに、思いもがけず海ばかり見ていた。

瀬戸内海。自転車を漕ぎながら。

日本海。電車の窓から

太平洋。ゆっくり歩きながら。
行こうと思って、計画して行ったのは最初の瀬戸内海だけだった。
電車の四角い窓から、生まれて初めて目にした日本海の厳かさに圧倒された。
翌週、吸い込まれるように逗子に降り立った。
春には、この足で電車の窓から眺めただけのあの砂浜を踏もうと思う。
毎日は何にもなくただただ過ぎ去っていくだけだと、時どき心の底からうんざりしてたけど、気がつけばきちんと毎日目が覚めて、美味しくごはんを食べて、働いて、時には電車に乗って遠くに行ったりライヴに行ったり、新しい年を迎えたりしていて、やっと、そのあたりまえのすごいことを受け容れられる少しの余裕ができてきた。
もう遅い?けど、2009年が私を取り巻くすべての人、もの、風景に、小さな幸せが溢れますように。そう願わずにはいられない。

土曜日、起きたらあまりにもすかっとした陽気で、なんだかそわそわとした心持ちで長い時間自転車を漕いだ。
先週末くらいからいろんなことが押し寄せてきて(物理的にやることがたくさんになってしまうと悶々としてしまうだけなのだけど)、どうにもこうにも身動きが取れないような心細さだとか猜疑心だとかは幾分か解消されて、久しぶりにハンバーガーを頬張ったらすとんと眠りに落ちていた。
日曜の朝、すっきりとした目覚め。
音を消したままになっていた携帯を見ると、何通かのメールの中に、ある友人から今から食事でも、のメールが混じっていた。その時間23時。その人から午前2時に着信。ちょっと、ああやっぱり、と思う。
なんとなく、土曜に連絡がくると思っていた。もう7年くらい前からつかず離れず、の友人関係だけど、不思議と今日いっしょにごはん食べたいな、食べるだろうな、思った時に必ず連絡がくる人。だから21時までは頑張って起きていたのに。初めてじゃないだろうか、こんなこと、あの人と私との間では。
けれどもメールと着信の間の3時間、あの人は楽しく飲んでたんだろう、そして午前2時の電話の声は聞いていないけれど、きっと上機嫌に酔っ払っていたんだろう、電話したこともうろ覚えなんだろう、と思うと、そこに居なかったことは残念だけど、なんだか自分までおもしろおかしく、楽しい気分になった。
朝から軽快に返信して、朝からいっぱい洗濯した。土曜よりもっともっとすっきりして、しゃんとした。
なんだかいい週末を過ごせたなあ、と思った。

涙バトン

id:m73さんからしかりとキャッチいたしました。
いつも、繊細な文章の隙間からこぼれおちるm73さんの気持ちにどき、っとしています。ありがとうございます。
:::::
前置きになってしまうのですが、私はとても泣き虫です。
けれども私にとって涙とは、そのときの気分に寄り添うもので、涙が主体では決してなく、過ぎ去るものなのです。
そのため涙を一番に考えると、輪郭のない淡い淡いものばかりで、これといったものが思い浮かびません。
なので、明日にはきっとこの答えは変わっていると思います。
あくまでも今日の、この一瞬の答えです。


  • 最近流したのはいつ?またその理由は?


ついさっき、東京の母ともいえる元上司からのメールに返信しているとき。
なんでもない、いつもの次に会う約束のメールのやりとりなのだけど、ママの太陽のような明るさと穏やかさと優しさを思い、それだけでぐっときたのでした。ママや友達に見守られて幸せだなあ、って思っていたら。

  • 今まで一番泣いたのはいつ?またその理由は?

一番、というのがまったく思い浮かびません。
それが幸せなのか不幸なのか、はたまた人生に対してきちんと向き合っている・いない結果なのか解らないけど。
涙を流すことに対して優劣をつけるにはまだ早い、と思っているのかもしれません。
それよりもこれから沢山流すであろういろんな涙を、きちんと消化していきたい、という気持ちのほうが強いのかもしれません。

  • いくら泣いても涙が枯れない、何度でも思い出すだけで泣いてしまう。それとも、すっごく悲しい時に泣けないこと。どちらが辛いでしょうね?

過ぎ去るもの、消化していくもの、と捉えている私には泣けないこと、のほうが辛いのかもしれません。


  • 泣いちゃった小説、漫画、映画、歌とかそういうのありますか?

【小説】

犬が星見た―ロシア旅行 (1979年)

犬が星見た―ロシア旅行 (1979年)

小説ではないけれど、このあとがきでわんわん泣いた。
本文の日記ではある一定の体温でロシア旅行記を記しているのに、あとがきでは激しいくらいの百合子さんの感情が溢れていて。
沖で待つ

沖で待つ

最後の「沖で待つ」、そのひとことで。
【漫画】
南瓜とマヨネーズ (フィールコミックスGOLD)

南瓜とマヨネーズ (フィールコミックスGOLD)

最後から2ページめ、
「わたしたちの この ありふれた平凡は
 本当はとても こわれやすくて
 なくさないことは奇跡」
何でもないようで、本当に奇跡なのだと思うから。
【映画】
奇跡の海 [DVD]

奇跡の海 [DVD]

共感とかそういうのではないけれど、ただただ嗚咽した。
【歌】
いろんな涙がたくさんあるので、実際にライヴで見て聴いて、気がついたら流れていたものだけ。
STRAWBERRY

STRAWBERRY

シモーヌ
adore

adore

まだ赤い
「てん、」

「てん、」

バイタルサイン

  • 優しさに泣いちゃうタイプですか?自分の情けなさに泣いちゃうタイプですか?感動して泣いちゃうタイプですか?怒りすぎて泣いちゃうタイプですか?

どれもこれも。時には風景にさえも。

  • 誰かを泣かしたこと、ありますか?

悲しくて、楽しくて、その結果泣かせたことなんて沢山あると思う。
願うなら、楽しくて幸せな涙のほうを、よりたくさん共有したい。

  • 逆に泣かされたこととか…

「泣かされた」という故意であるようなニュアンスではなく、結果として泣いたことはたくさんあると思います。
嬉しいことも悲しいことも。

  • 涙は何の味?

その時どきによって違うのだと思います。

  • 涙に対する貴方の見解を教えて下さい。

最初に書いた通りではないでしょうか。
重くもなく軽くもなく、ただ生活する上でひょっこり顔を出す存在なのだと思います。
私個人としては、泣いちゃうくらい感動的なことに出会うのは嬉しいけれど、泣くということをドラマティックに捉え、それが故に自分を飾るような生活はしないと思います。結果、ドラマティックだったとしても。


  • お付き合いありがとさんです。嫌われたら泣いちゃうくらい好きな5人に回してみよう。

もうたくさんまわっているようなのでアンカーで。
長々とありがとうございました。

いろんなところで、ああ、秋だなあ、と感じる。
:::::::
狂ったように梨を食べ続けている。
あんなに生の果物は苦手だったのに。
さらさらとしゃくしゃくと、甘くてみずみずしい果汁にうっとりする。
夕飯を作って食べて、あるいは外で食事を楽しみ、ひとしきりぼけっとしておもむろに包丁を握る。
半分は明日のお弁当用に小さく切ってタッパーに詰め込み、半分はざっくりと大きく切って口に放り入れる。
口の中に長く残る蜜の余韻。1日の終わりにじんわりと幸せを感じる瞬間。
:::::::
日に日にお弁当の量が増えている。食べ盛りの男子学生のそれにも負けないくらい。
たくさん食べたくて詰め込みたくて、そして美味しくて、この2ヶ月でお弁当用のタッパーを3回替えた。
もともと、ちまちましたおまけのようなごはんは好きじゃないのだ。
あと何回食事をすることが出来るのか全然わかんないけど、できる限り、しっかりと納得のいくごはんが食べたい、と強く感じている。
理科なんてもっとも苦手な教科だったのに、鍋に転がる野菜を見つめていると、あれとこれを合わせてこれくらい時間をかけるとこんな味になる、今食べたいあの味になる、とふっとわかる瞬間があって、それは大概当たっていて、まるで実験のようで、そしてまるで自分が天才化学者になったかのような錯覚を覚え、大変おもしろい。
それはただ、自分のためのごはんをずっと作り続けてきて、自分の好みの味がわかっていて、それを体の芯が覚えただけのことなのだけど。
それでも、ごはんはとても楽しい。
:::::::
自転車を新調してからというもの、その乗り心地の気持ちよさに、時間さえあれば今まで車や電車でしか行ったことのない場所にペダルを漕いで向かっている。
金曜日は池袋へ、土曜日は千歳烏山へ行った。
真夜中の山手通りも、木漏れ日が差す農大の横の道もそれはそれは気持ちがよくて、そのまますいーっともっと遠くまで行きたくなる。
毎朝の自転車の道のりも、もう見慣れた風景になった。
その見慣れた風景も、見る、感じる印象がじんわりと緑から赤に変わって、わずか20分の道のりにいつも小さくはっとする。
ざわざわした気分もすっと晴れる、風を切る朝のこの時間がとてもとても愛おしい。
:::::::
とても原始的だけど、いろんなところで、こんなところで今年の秋を感じている。
ざわざわするときももちろんあるけれど、でもそれ以上に一人の時間を、誰かとの時間をゆったりとした幸せな気持ちで過ごせて、今年の秋はとても好きな秋になりそう、なっている、と確信している。